では5月23日の「福島」を記す試みを始めます。
前夜、わたしは夫から叱られていた。
「君はいったい、福島でなにをしているの? ボランティアのひとつもしないなんて」
と。
周囲からはわたしは優しい夫に恵まれたと思われているが、実はそうでもない。今回の福島行きにしてもそうなのである。まず、夫の意向を確認しようとして、
「福島に3週間ほど行ってこようと思うんだけど、どうかなあ?」
と尋ねたら、真っ向から目を見据えられて言われたのだ。
「僕が君と同じ仕事をしていたら、すぐにもそうしている。僕は不思議に思っていた。どうして君がそれを早く言い出さないのかなと」
わたしが福島行きを夫に打診したのは、4号機が傾いているという噂がネット上で流れていた時期だった。事実かどうかは知らない。そして、行ったからといってわたしに何ができるかといえば、「見たものを自分の視点なりに書く」という、いったいそれにどういう意味があるかよく解らない仕事である。
すでに現地には、ばりばりのノンフィクションライターの人たちが大勢、詰め掛けている。いったいわたしのような訳の解らない人間が行ったところで、それ以上の仕事ができるかしれたもんじゃないと個人的には思う。
しかしそういう思いを口にすると、夫に叩きのめされた。
「要するに、君が福島に行きたくないんでしょう? だったら最初から行こうと思うとか言い出さなきゃいいのに」
あー、解ったよ、行くよ、行けばいいんだね?
行って見て来るよ。そして書くよ!
で、5月23日の前夜、わたしは夫に自分が見たものを報告したのだ。
「今日さあ、福一のある浜通りのいわき市ってところのセブンイレブンに、ボランティアの子だちが来てたよ。汚染された瓦礫とか右に動かしたり左に動かしたりして、なにかいいことあるのかなあ?
そもそもどうするんだろう、あの瓦礫」
するとまた鋭く痛いところを突かれた。
「君はどうしてボランティアをやらないの?」
「えっ、だってわたしは……その」
「要するに、行きたくないんだね。ボランティア」
あー、解ったよ、行くよ、行けばいいんだろう!
このように。
わたしには大変、この人は厳しい。
その代わりといってはなんだが、一般的な妻としての役割みたいのは、かなり基準が緩いようだ。仕事でご飯が作れなくても自分で勝手になんとかするし、部屋が汚れていても気にならないらしいし、洗濯物が畳んでなくてもそれが当たり前、みたいな。野郎の二人暮らしに限りなく、近いものがある。
といった次第で、わたしは県のオフィシャル・サイトで(現在、どうなっているか知らないが、この時期の県のオフィシャル・サイトのトップページって悲惨だった。この原稿が掲載になる頃にはどうなってるか知らないが、どこの村の自治体だってここまで酷くないだろうという暫定感溢れすぎるサイト作りである。わたしが忘れかけているHTML言語で書いてやろうかと言いたくなるほど、悲惨だった)、ボランティアについて調べた。
しかし福島県のボランティア、ねえ。
正直わたしは、「人の住めない土地になった」と感じている部分が多々なんだよな。これは言っちゃいけないことなのかもしれないけど。少なくとも福島第一原発から80km圏内ぐらいは。ボランティアしてる労力があったら、なにか別のことに回したほうがいい、っていう気がしなくもない。
しかし調べてみたら判明した。
県はかなり切実に、ボランティアを必要としていた。そういう情報の発信の雰囲気であった。
週末の土日には、いわき市行きのボランティアバスまで運行しているという。無論、現地までのボラバスの交通費は無料である。この費用、県が負担しているのか、国が負担しているのか、はたまたいわき市が負担しているのか知らないのだが。
ボラバスの定員は40人までなんだけど、前日の午後3時まで受け付ける、という。
夫にもつぶやいた自分の考えが再び頭によぎる。
ただの自然災害と原発事故の決定的な違いは、瓦礫の処理だ。
わたしだって故郷が単に津波の被害を受けただけなら、自分の財政状況が許す限りにおいて、ボランティアに参加していた。だが、瓦礫を移動させてどうするのだろうという思いは強い。瓦礫の収集が終わったあと、全国の自治体にばら撒かれたりしたら? 事実、災害と原発事故直後に川崎市が福島県の瓦礫を引き受けようと申し出て、市長が袋叩きにあったのは記憶にまだ生々しい。
核は、拡散させないことが大切なんだが。
そのためにも「ひまわりを植えよう」というプロジェクトも囁かれているわけだし。要するにひまわりが放射性物質を吸着してくれるから、その土地に固定して、拡散させないための予防策なんだが。
しかし夫の手前だけではない。ボラバスが運行されているということも、問題といえば問題である。
セブンイレブンに来ていた子たちが、かなり若かったのが気にかかった。
被曝は年寄り限定な!
よーし、ボラバスの定員を年寄りで埋める意味でも、わたしの参加は意味がある、ということで。
まずはサイトに記載されている電話番号に連絡してみた。
「もしもし、5月28日土曜日のボランティアに応募したいんですが。定員はまだあいていますでしょうか」
「あ! はい。5月28日ですね。空いております、空いております」
わたしは当初ちょっとだけ嫌な方向に予測していた(嫌な方向に予測するのが得意なのは自分でも自覚している。19歳の頃からずっと、「いつかはこの国にもチェルノブイリのような悲劇が起きるのでは?」と怯え続けていた。周りにいたらかなりウザい奴であることは間違いないと自分でも思う。だからある時期から発言を控えるように努めていたが)。というのも、わたしが女であるのと、それから年齢である。ボランティアにだって行政がボラバスの運行という「経費」をかけているのである。それで撥ねられるのではないか、と。
しかし実際はどうだったかというと、即座に受付。名前と連絡先などを尋ねられた。
集合地は福島県中通り最大の都市、郡山駅西口である。
実は郡山市、県庁のある福島市よりも栄えている。
理由はというと、「安積疏水(あさかそすい)」である。
いでよ、ウィキペディア! ということで、そのまんま情報を貼る。
安積疏水(あさかそすい)は、猪苗代湖より取水し、福島県郡山市とその周辺地域の安積原野に農業用水・工業用水・飲用水を供給している疏水である。水力発電にも使用される。
引用、以上。
ここで注目して欲しいのは、「安積原野」という言葉である。そう、安積疏水というものが引かれるまで、郡山あたり一帯というのは、「原野」だったのである。この辺に伝わる昔話に、
「安達が原の鬼婆」
というのがある。原野に住まう狂女で、通りがかる旅人などを殺してその肉を食べて生きていた。そうなったのは、母親を探しにきた自分の娘を、知らずに殺してしまったからだ、という話だ。
しかし安積疏水で、街が造られた。農業用水にも使われているが、主に工業の街として、郡山は栄えた。過去の知事選で、
「某候補は、当選したらば福島市から郡山市に県庁を移すらしい」
という悪質なデマが対抗馬陣営から流されてしまい、それで落選した候補者もいたほど、である。
わたしが高校生ぐらいだった時代までは、駅前には西武デパートが煌びやかに建っていた。ここ最近は郊外店の発達に伴い、駅前が廃れてしまったのでどうなったのかわたしも正直知らないのだが、この駅の西口を降りると安いセクキャバみたいなものの巨大な看板が立っていて、
「美人はおりませんが、可愛い娘なら沢山います!」
と書いてあったもんである。たぶん、もうないだろうと思う。
それにしてもいわき市にボランティアに行くことになるのか。
電話の向こうでメモを取っている雰囲気を感じ取りながら、前日に見てきた光景を思い出す。今回は常務にハンドルを預けていたため、車窓の風景をじっくり眺められたのだが、いわきの海岸沿いには、「瓦礫を積んでいるだけ」の光景が道路沿いに延々と続く場所がある。久ノ浜町西には、津波も来たし、火災もあったという。で、そこにもってきて原発事故、と。
街にはお手製の旗のようなものが貼られている店もあった。
「がんばっぺ、いわき」
逆に寒々しいんだよな。津波だけじゃなくて原発事故だぞ? 人間がどう「頑張る」というんだ? プルトニウムの半減期って2万4000年だぞ。
2ちゃんねるでは、スレッドが立ったときに「2ゲット」するのが半ば伝統と化している。要するに、スレッドを立てた人間が「1」で、二番目にそれに書き込んだ人間が「2」だ。その「2」を奪い合うことを競って面白がっていた、ごく初期の頃は。だから2万4000年などという時間を伝え聞くと、どうしても半ば伝説化された栄光の「2ゲット」を思い出すんだが。
以下、貼ります、伝説の「2get」を。
以前、3のくせに「2get」と書き込んでしまい、
「2000万年ROMってろ!」と言われてしまった者です。
言われた通り2000万年間、沢山沢山ROMりました。
猿から人類への進化…
途中、「ガットハブグフーン?」と書き込んだジャワ原人に反論しそうになったりもしましたが、
言いつけを固く守り、唇を咬んでROMに徹しました。
そして現れては消えていく文明。数え切れないほどの戦争…生と死、生と死。
2000万年経った今、晴れて縛(いまし)めを解かれた私(わたくし)が、
2get出来るチャンスに今っ!恵まれました。
感動で…私の胸は張り裂けんばかりです。
卑弥呼女王、見てますか?
義経様、清盛様見てますか?
信長様、秀吉様、家康様見てますか?
それでは、2000万年の歴史の重みと共に、
キーボードを叩き壊すほどの情熱をもって打ち込ませていただきます。
2get!
引用、以上。2000万年まではいかないが、2万4000年といえば卑弥呼女王をはるかにさかのぼる旧石器時代である。
ま、いいやそれは。で、電話口で確認を取られた。
「作業着、安全靴、角型スコップ、マスク、ゴム手袋、飲料水、それから1000円をお弁当代としてご用意ください」
「あ、はい。承知しました」
ここまではWebで確認済み。しかし角型スコップねえ? あるかなあ、実家で経営している会社に。なければ買うしかないな。高いね、ボランティアをやるのもなかなか。
すると電話の向こうの窓口の人に尋ねられた。
「それから、ボランティア保険に加入されていますでしょうか?」
これはかなりぎょっとした。え、なにそれ。そんな保険が必要なの? ていうか、そんな保険がこの世には存在したの?
「いえ、おりません」
「でしたら、現地でお怪我などなされた場合は、ご自分の負担で治療していただくということになりますが、よろしいですね」
「あ……はい」
うーん、ひとつ勉強になることはなったな。ボランティアって、体力だけがあればいいわけじゃないのね。そりゃそうか。お金も出して、身体も使え、と。ある意味、納得。全部を行政が賄うというのなら、人を直に雇用してしまったほうがいいというか。
しかし怖いのは「ボランティア保険」なるものなのだった。
なんだかとても気になるんだが。
自分で調べてみた。すると判明した。
た、他人様の大事な壷を割ったときとかにも、「ボランティア保険」は活用されるのか!
やばいぞ、これは大変、まずい。
そういうの、全然自信ない。どうしよう、割った壷が骨董品で、
「これは“なんでも鑑定団”で、300万円と評価された家宝の壷です。ですので、責任を取って、300万円お支払いください」
とか言われたら。
被曝とかなんとかよりも、まず、直近の金の問題が怖いわ!
慌てて、ボランティア保険を扱っている団体みたいなのに電話する。
「すいません、28日までにボランティア保険に加入したいんですが」
「個人でのご加入というのはないんですよ」
半泣きで相談する。
「えっ、じゃあ、どうしたら。わたし、福島のいわき市のボランティアに応募しちゃったんです」
「では自治体とご相談なさってみてください」
えっ、えー。
どうしよう、本当に本当にどうしよう。
慌ててもう一度、ボランティア受付の窓口に電話する。
「すいません、28日にいわき市にボランティアに行きたいと志願した者ですが、ボランティア保険にはどうやったら加入できるでしょう? 加入したいんです!」
ほとんど叫ぶように相談する。本気でパニック。
すると電話口で応対してくれた人が笑う。
「ああ、西口で受付するときに“ボランティア保険に加入したい”と一言おっしゃっていただければ、その場で加入できますので」
「あっ、そーなんですか」
「はい、そうです」
「では28日、改めてよろしくお願いします」
すごく、気が抜けた。
なんだもう、それならそうと、最初に教えてよ。不親切ねえ、もう。
わたしはこの時期、友人たちに無事の報告を兼ねて、mixiに友人限定の公開日記を書いていたのだが、ボランティアに行くことになったと報告すると、土木現場の作業を経験したことのある男の子がかなり親身になって教えてくれた。
「粉塵対策のゴーグルと、粉塵対策のマスクが必要ですよ。どちらもDIYショップで入手できるかと思います。被曝も危険ですけど、現場はおそらくアスベストでたっぷりだと思いますから」
これは大変有効なアドバイスであった。実際、わたしも、いわき市の津波の被災地を歩いていて、
「あ、粉塵を吸ったな」
と感覚で解った瞬間が多々あった。実際、夜中に幾度も咳き込んだし。だから瓦礫の多い地帯にボランティアにこれから行こうと思われる方は、このアドバイスは活用したほうがいいと真面目に思う。しかしアスベストも「人災」である。あれはもともと、国が、「防火のために」建築業界に義務付けたという過去があるんだから。建築関係者でアスベストの粉塵を吸わずに済んだ労働者っていないんじゃないの?
なお、先に書いてしまうが、実際に28日にわたしがボランティアに行けたかどうかというと、前日になって連絡が入り、
「明日は雨のため、野外活動が難しく、ボランティアバスの運行は見送りとなりました」
となってしまったのだが。もっともこのときのためにあちこちを駆けずり回って道具だけ揃えたのと、夫に言われたのがよっぽど悔しかったらしく、わたしは後に「リベンジですよ、ボランティア」ということになるのだが、それは後日の話とする。
一方この頃、福島で何が起きていたか。
わたしのハードディスク内の保存ファイルを開くたびに、悔しさに唇を噛み締める事態が起きていた。以下、引用。
放射性物質を消す“奇跡の水”「創生水」 飯舘村「創生水を復興の旗印に」
福島第一原発から北西約40キロメートルに位置する福島県飯舘村。この村は積算放射線量が高かったため、計画的避難地域に指定されている。そんな飯舘村の住民が、今、かすかな希望としている水がある。それは放射性物質を消し去るという「創生水」。飯舘村農業委員会の会長を務める菅野宗夫氏がこう説明する。
「この水で放射線に汚染された野菜を洗えば元通りになり、田んぼや川、牧草、牛の乳も、この水に浸せば放射性物質が完全に消え去る可能性があるんです。私たち地区住民200人は、創生水を復興の旗印にしていくつもりです」
この「創生水」とは、長野県上田市に本社を置く科学機器メーカー「創生ワールド」が開発した水。現在、同社は飯舘村の住民に「創生水」と、1台約200万円という高価な生成器を無償提供している。「創生水」の開発に関わった同社社長の深井利春氏は、
「様々な病気を引き起こす活性酵素を吸着して除去する作用を持ち、健康によいといわれる還元水の一種」と説明する。
「創生水は油と混ざり合う性質があります。“水と油”という慣用句があるように、これは水道水など一般的な水ではありえません。分子が小さく、界面活性力を持つ創生水だからこそ実現できることでもあります」(深井氏)
界面活性力とは、性質の違うふたつ以上の物質の境界面を活性化する力のことで、「創生水」はこれを活性化(乳化)する機能があるのだとか。
「この機能により、シャンプーや手洗いはもちろん、油にまみれた食器を洗うのにも洗剤を必要としません。使ったことのない人には信じがたいでしょうが、現に創生水だけを使用し、シャンプーや洗剤を使わない美容室や飲食店、クリーニング店は東京都内など全国に1千店近くあります」(深井氏)
そのうちの1店、東京・銀座にある焼き肉店「ぴょんぴょん舎 GINZA UNA」では、実際に洗い場で洗剤を一切使わず油まみれの皿を洗浄している。活性酵素、還元水、界面活性力など、難しい言葉が並ぶが、一流企業の検査機関でも、その効能が証明されたという。
“奇跡の水”、はたしてその正体は?
引用、以上。
どうだろうか、この、えげつなさは。
水の分子の大きさを変えられたとしたら、ノーベル賞ものである。
界面活性力は、洗剤自体がその力を持つ。そしてその「創生水」とやらで、どうやって「放射性物質」が消えるというのか。放射性物質の「半減期」を変えられたとしたら、これまたノーベル賞ものである。
農業委員会の会長というのは、長くその土地で農業に従事して、かなり積極的に地域振興に関わった人が納まることが多い。イメージとしては、農村のご意見番というか、長(おさ)というか、この人がよしと言えば、新規就農者にも農地を売ってもらえたりとかするのである。もっともその分、農業にかける情熱も強いと同時に、ある意味では口うるさい存在でもあったりもする。だが、その人に認められるということは、「一人前の農夫である」との、農家免許の取得を意味するような側面もある。
こうした農業委員会の存在が邪魔をして企業が大規模農業の着手ができなかったりとか、昨今ではその弊害ばかりが取り沙汰されてきた農業委員会であるが、本当の意味で地域を守ってきたのもまた、この人たちなのである。
わたしは、悔しい。
飯舘村農業委員会の会長を務める菅野宗夫氏に直にお会いして、
「どうかこんなえげつない連中に騙されないでくれ」
と土下座してでも頼みたい。
しかしそれ以上に悔しいのは、ここまで飯舘村を異常心理にまで追い詰めた政府の無策さである。IAEAが避難勧告を促したときに、飯舘村から住人たちを避難させれば済んだ話なのだ。飯舘村の長泥コミュニティセンターは、例えば5月16日0:00の測定で、11.10μSv/h。仮に屋内ならば放射線を浴びないと仮定してもだ(そんなことはありえないが)。農業従事者が野外で作業する時間を1日6時間程度としても(これも、現実にはありえない。農繁期の作業というのは、早朝から日暮れまでである)、軽く年間被曝量は20mSvは超える計算になるのである。世界から頭がおかしいと言われている被曝量すら、余裕で超える。わたしの計算に狂いがなければ、そうである。
そんな場所で作付けをしろと。
そんな場所で草刈をやれと。
そんな場所で収穫をしろと。
わたしが網羅しているニュースに見落としがないとしたなら、政府は一言も約束はしていない。「汚染された作物でも買い取る」とは。
人が住めないような大地に汚染されて、自らの力で生きていく術を奪われて、そしてどうやって「活路」を見いだせというのだ。
言うな、わたしの前で「がんばろう、ふくしま」などと。
自己責任の問題にすり替えるのを、わたしは許さない。
これは国のエネルギー政策がもたらした罪だ。
この約1カ月後の2011年6月22日、枝野官房長官は記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所事故で全域が計画的避難区域となった福島県飯舘村が福島市に役場機能を移したことについて、「大変なご無理をお願いしている」と陳謝した。
いまさら謝罪の言葉などはいらない。必要なのは、「計画避難区域」に指定することではなく、「強制避難」に切り替えることである。
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